浪曲子守唄      一節太郎

             逃げた女房にゃ未練はないが
             お乳ほしがるこの子が可愛い
             子守唄などにがてなおれだが
             馬鹿な男の浪花節
             一ツ聞かそか ねんころり

             土方渡世のおいらが賭けた
             たった一度の恋だった
             赤いべべなど買うてはやれぬが
             詫びる心の浪花節
             二ツきかそか ねんころり

             どこか似ているめしたき女
             抱いてくれるかふびんなこの子
             飯場がらすようわさは云うなよ
             おれも忘れて浪花節
             三ツ聞かそか ねんころり 
~♪


                      ★

*叔父の十八番だった・・・・

【叔父との別れ・・・】
29日午前1時電話の音で目が覚めた・
号泣・・・の声

いとこ 「お父ちゃんが死んだ!間に合わんかった!だ~れも看取ってやれんかった!!」
さち  「わかった・・・落ち着いて病院の手続きを済ませておいで・・・」
いとこ 「おねえちゃん,親戚への連絡を頼む・・・」
さち  「うん、心配せんでよかけん,取り合えずうちのばあちゃんを明日始発の新幹線で向かわせるけんね・・・私も準備が整い次第すぐ行くけん・・・」

叔父は母の弟,六人兄弟でただ一人の男。
私の父が亡くなったときは岩国に奥さんと子供を置いて,一ヶ月さちの家に居た。
劇的な父の死後私達家族のことを案じてのことだった・・・
建築業を営む叔父は私の学校卒業にあわせ自分の敷地に家を建ててくれた。。。
「家は姉が建てろよ,そうすれば気兼ねなく住める・・・」と母へ一言言って,職人さんたちの残業の仕事として我が家を建てたのである。
それから私達親子の新しい生活が始まった。場所は岩国。
そこで8年間過ごし,主人の仕事の都合で広島へ引っ越すことになった。

叔父は現場では「鬼のオヤジ」と呼ばれていた。。。
たくさんの公共施設,病院等を建てた功績は大きい。

口癖はいい仕事は整理整頓から!

叔父は長崎からこちらへ出て来てから「○○建設」の看板を掲げるまでの数十年はずっとお弟子さんと飯場暮らしをしていた。
景気のいい時はお弟子さんと一緒に夜な夜なネオン街通い・・・(爆)
「いい女」の話をよく聞かせてくれた。。。

仕事には厳しい人で有名だったが,私は「トンチのかたまり」の叔父しか知らない・・・
そして歌がうまかった。。。お酒が入ると十八番の「浪曲子守唄」をいつも歌った。

私に辛いことがあると 「さっちゃんよ,人間土壇場にたつと目から涙はでんとぞ,火の出るとぞ!おじちゃんはなそんな思いば何べんもしてきた,そがん思いばしながら生きていくけん喜びもあるとぞ・・・」と話してくれた。。。

主人もそんな叔父に恩があると言って,葬儀にだけでも出たいと主治医に相談し,注射を打って,杖をつき涙涙の対面をし,葬儀を終え安心したのか「病院へ連れて帰ってくれ・・・」と言ってきた。。。ちょっと苦しそうだったので慌てて息子に運転を任せ病院へ帰った。
今は落ち着いているのでほっとしたところ・・・

そんなこんなでこの数日間で岩国へ何往復したことだろう・・・ふ~~~ぅ。

今夜はお風呂でこの歌を歌って叔父のことをあれこれ思い出していた。。。

これからも叔父が残してくれた言葉を胸に生きていかねば!!
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by sachi318s | 2007-08-31 22:23 | 独り言

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